サボテンの気持ち

とある当事者のメモ帳。たまに日常。

置かれた場所が違いすぎて

先日、同窓会がありました。

集まった人数は少なかったのですが、とても密度の濃い楽しい時間でした。

 

その日に集まって話した内容によると同窓生達はそれぞれ仕事を頑張りつつ資格を取ったり、趣味の時間も大切にしているみたいでした。学生時代よりも皆は大人になったのだなぁと思い知らされました。

 

そして、ついに「君は今、なにしてるの?」という質問が。私は逃げるように「体調を崩して退職してしまったから、今は就職活動中だよ」と軽くにごしました。私の前職は体力勝負なところもあったので、その時より丸くなった私の体型を見てうすうすかんづかれていたかもしれません。

 

場の空気を凍らせたい訳ではないのですが、どうしてもこの手の話になると私には明るく話せることがありません。「数年前に体調を崩して入院してから毎週通院して、体調を少しずつ回復させていったんだ。今は職業訓練みたいな勤務をさせてもらって体力をつけて、次はオープンで就職したいと思ってるよ」なんて、中にはそれを話せる友人もいますが、同窓会では話しづらい内容ですね。

 

私が統合失調症になったのは、20代になってすぐでした。それ以来同窓会などには顔を出さずに体調管理などの自分の課題と向き合ってきました。まずはデイケアに通って通える日数を増やして体力を取り戻す。そして働いて給料を貰えるようにならなくては、と。私も努力してきましたが、どうしても同窓生達の生き方と比べてしまいます。「私だって体調を崩さなければ今頃」なんて、何度考えたことでしょう。

 

眩しい同窓生達の会話に、相槌を打ちながら私はこの人達からおいていかれているなと自覚してしまいました。どうしても背中が遠過ぎるのです。とある人は「他人と比べるものではない」と言いますが、私は多分他人と比べることによって統合失調症になってから失ったもの達を必死に思い出してかき集めようとしているのかもしれません。元気だった頃は確かに私もみんなと同じように頑張れていたのだ、と。

 

色んなところで「焦るな」とよく言われますが、延ばし延ばしになる思うようにいかない就職活動に対して焦りを感じないようにするなんてどうしたら良いのでしょうか。友人はもう就職して責任を持って仕事をこなしているのに、私はまだ就職すらできていないのです。ですから私にはどうして良いのかわかりません。綺麗事で納得しようにも、割り切れない感情があります。

 

ほんの少しですが働けるようになった今でさえ、私には色んな制限があります。早く働いて自立したいのに、まだそれは難しい話なのです。

 

そういった悩みに耐えかねたのか、この間漠然とした不安が出てきて希死念慮まで襲ってくるようになりました。本当は死にたくはないと思っていても「私は死んだ方が良いのではないのか?」という不安からの問いかけがとまりません。耐えかねて頓服を飲みましたが、症状が強く出過ぎてうまく効いてくれませんでした。希死念慮は私自身にもどうしようもできない感情なので、自分の事なのに気持ち悪さがすごいです。未だに希死念慮が出てきたときの対処法がよくわかっていないのでゆっくり見つけていきたいと思っています。

 

少し話が逸れましたね。

私は私の置かれている場所で頑張るしかありませんが、それでも割り切れない感情とたたかっています。あの時、自分の異変に気付いて早期に気づけていたらきっと今とは少し違う未来になっているのかもしれません。

 

自分の置かれている場所は思わぬところで急に変わるかもしれません。私は以前までの生活とは違うことを受け入れるのにも時間がかかりました。今、私が置かれている私の決して簡単なところではないと思いますが、時間をかけてゆっくり受け入れたいです。そして、就職などステップアップをして、もっともっと私自身が思っているところに行けるように努力していきたいと思います。

私が感じている生きづらさ

今回は「私が感じている生きづらさ」を書きたいと思います。

 

統合失調症になって私は変わりました。そして周りからも「変わったね」と言われます。

 

主に出来なくなったことが増えました。以前は今よりも頭の回転や考える力があり、それによって今より精神的に余裕がありました。今現在では、まず考えようとしても頭がスッキリしていないのでなかなか集中することができません。これは多分、周囲の状況を取捨選択して必要な情報だけを選ぶ力が以前より無くなったのではないかと思っています。

例えば、周囲の騒音や話し声が気になってしまってなかなか目の前の人との会話に集中できまない時もあります。そのせいでそれでそわそわしてしまったり。人混みが苦手なのもそれもあるのかもしれません。それによって以前は気づけていた人の表情の変化や細かな言葉のニュアンスなどが汲み取ることが難しくなってきました。私自身でもコミュニケーションを取るときに気配りや気遣いができなくなったなと自覚しております。

 

周囲の人の感情が自分ではわからなくなると、とにかく焦ります。まず会話の流れや空気が読めません。今の言葉は大丈夫だったのか、自分の言葉で伝わったのか分からず自分に自信がなくなります。だから謝ることが増えたな、と。言葉だけのメッセージのやりとりも苦手になって、ますます自分からは送らないようになりました。

 

出来なくなっていることに気がついてしまうと、そのことに対して一気に苦手意識が強くなります。

 

ただでさえ出来ていないことを自覚しているのに、苦手意識まで追加されるともうどうして良いかわかりません。やけになって人との関わりを諦めたいと思ったこともあります。集団生活の中でも1人で過ごしていた時期もありました。ですが、友人と一緒にいるときの方がやっぱり楽しいです。簡単には諦めたくはありません。以前は出来ていたのだから、きっと回復してほしいなと思っております。こればかりはどうなっていくかわかりません。なので私自身も何か努力していけれるようなことを見つけたいと思っています。出来なくなったことばかりに注目するのではなくて、それをカバーできるようになる事が目標です。

 

以前の自分が好きだった頃の自分に戻れなくても、また新しい自分のやり方や考え方を見つけて少しでも自分に自信を持てるようになりたいです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

無題。

お久しぶりです。
最近やっと勤務が出来るようになってきたわたしですが、それまでには色々ありました。
今はだいぶ大丈夫になっている症状もありますが、吐き出させてください。

まず、就労訓練中にやっと統合失調症の症状が安定してきたかと安心していたら手足の痺れや吐き気が現れて病院へ。手足の痺れの原因は無事にわかり今では回復しています。吐き気はその前からずっと続いていたのですが、なかなか治らずに今に至ります。そのダブルパンチのせいで一度は現れた勤務への道が遠ざかりました。

勤務への道が遠ざかってもちろんモチベーションは下がりましたが、働きたかった私はまず通院して少しでも良くなることに務めました。そして少し経って無事に痺れなどはなくなったので、また訓練へ復帰して勤務へ入ることが出来る様になりました。

ここでさらっと書いてますが勤務に入るまでに数ヶ月かかりました。どんどんやる気ゲージを維持することが難しくなってきて、でも働けることが嬉しくて。複雑な心境でした。初給料で大切だった人へのプレゼントも買えて喜んだり、時折現れる吐き気や不安などにうんざりしたり。今思い返してみると働けていましたがある意味不安定でしたね。

そして勤務に入っている今、よくわらない息苦しさや動悸が現れるようになりました。胸が痛くなって痛みが肩まで広がるので、不安になって色々な病院へ行きましたが検査結果では異常はでませんでした。異常が出なかったのはとても嬉しかったのですが、「ではこの痛みは何か?」と少し怖くなりました。ですので不安も強く出ています。不安につられているのか睡眠リズムも乱れていて、眠れていたとしても疲れがなかなか取れません。動悸がしている中腕に刺すような痛みが走ってきた時はもう色々とパニックになりそうになりました。

ただでさえメンタル的に不安定なのに身体的な不調が重なり、せっかく入れるようになった勤務がまた遠くなりそうで怖いです。

検査結果に異常がなかったのですが、勤務中でも動悸や胸の痛みが取れません。勤務中、諦めて帰るか悩みましたがなんとか乗り越えることが出来ました。比較的調子が良い時は何とかなります。しかしこれ以上無理をするのもまた逆戻りしそうで怖いです。夜になると特に動悸が強く出て、それに加えて吐き気もでるのでもうお手上げです。原因もわからないので、余計に気になります。ですからもう一度病院へ行きたいと思っています。

文章にできて少し落ち着けました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

サボテンとの思い出(日常編)

今回は日常編です。ブログの名前の由来になった私のサボテンについて書きたいと思います。

 

私は以前、花が好きだと書きました。なぜ花が好きなのか、いつ好きになったのかは覚えていません。物心ついた頃から母とミニトマトを育てて成長を観察したり、気づいたら私の身のまわりにある存在でした。何となく好きで初めて自分一人で育てたのは、小学生の頃に退院祝いでご近所さんから頂いたサボテンでした。綺麗なピンクの花が咲くたくましいサボテン。そのサボテンは成人するくらいまで大事に育てていたのですが、ある時手違いで根っこから抜かれてしまい枯れてしましました。

 

小学生の頃から成人するまでずっとそばにいてくれたサボテン。何故たくましいと表現したのかと言いますと、マメではない私の少し抜けてる育て方でも元気に毎年花を咲かせてくれていたからです。

 

中学時代も高校時代もずっとそばにいてくれました。思春期の難しい年頃だった私の心の支えで、「ちくりん」と言う名前をつけて、大事にしていました。水をあげる時などに「今日はこんな事があったんだ」とか「元気?」とそのサボテンに話しかけると何故か落ち着いたものです。私が水やりを忘れてもずっと元気で、思い出した時に「ごめんね」と謝るのですが、きっと心が広いサボテンだったのでしょうね。毎年新しい年度に変わって少し経った5月くらいに花を咲かせてくれていて、家庭訪問の時にこっそりと玄関先でその頃の担任の先生を玄関でお出迎えしてくれていました。

 

高校を卒業して就職した後も密かに私の背中を押してくれる存在でした。毎年決まって4月中旬頃くらいから蕾が出来て5月に花を咲かせて、夏からはずっとトゲトゲ。冬を越して春が来るとまた蕾が大きくなって花が咲く。ただその繰り返しでしたが、親元を離れて初めて働き出して右も左もわからなかった私をずっと実家で待ってくれていて私の「ただいま」を家族より先に聞いていました。その頃はもう大きくなり過ぎていて庭に地植えしていたので、私のところには連れて行けなかったのです。それから仕事が忙しくてあまり家に帰れていなかったら、いつのまにか手違いで引っこ抜かれていて枯れてしまいました。実家に帰ったらサボテンが無かったのでかなりショックでした。ですがずっと一緒にいてくれたことは忘れません。

 

いつか私が今より色々と落ち着いたら、ちくりんと似ている花を咲かせるサボテンを育てたいです。

心の広いサボテンと出会えますようにと、願わなくては。

 

 

私とブログのテーマについて

きつすぎて眠れないそんな夜、皆さんなら何をするのでしょうか?

そんな私はブログを書いています。

 

私の場合は文章を書くと落ち着きます。思考がアウトプットされてすっきりするのか、その後はすんなりと眠れることが多いです。唯一、私がコツコツと続けられていることかもしれません。しかし、ただ何か書きたいだけでは文章は出来上がりません。私は文章を書くことは手段であると思っているので、何かを伝えたいという気持ちがなければ文が書けないことが多いです。文章を書きたくても題材が定まらなければ軸が定まらずに結局何が伝えたかったのかわからない内容になってしまいます。

 

私はブログで書きたいことが決まっているときは、約1200字を30分くらいで書きます。ある程度までの流れは日頃から考えていますが、一気に書き上げるのであまり時間はかかりません。ただ、書いている時にもっとわかりやすい言葉はなかったのか、接続詞はこれであっているのかなどを考え出してひっかかると「文章を書くための本」などを引っ張り出して少しの間考えます。

 

私のブログの設立時の主なテーマは「統合失調症当事者である私が闘病しながら就職を目覚す」というものでした。「統合失調症の当事者である私が感じている生きづらさや、日々難しいと思っている課題」について書くことで、ブログを読んでくださっている統合失調症の当事者の方やその周囲の方々の役に少しでも立てればという思いがこもっています。そして、そのどちらにも当てはまらないそうではない人達にも「こんな精神疾患の症状もあるのだなぁ」と知ってくださったら嬉しいと思っています。

 

私自身、統合失調症になるまではその病名すら知らずに過ごしてきました。知っているのと知らないとでは、その後の対応に違いが出ます。自分の精神状態がどんどん悪化していても気づけない時もあります。知識は強みですね。

 

こういう思いを込めて作ったブログですが、今の私は働けるようになってきてどんどん就労という目標に近づいています。その目標が達成されれば、次は新しい目標に向けて頑張りたいと思っています。それに続くようにブログのテーマも考え直さないといけません。

 

新しい段階に進むのは容易ではありませんが、今は私自身が続けたいブログのテーマについてしっかり見つめ直そうと思っています。どちらかというと私のブログの内容は暗めなので、明るめの内容のものも書けるようになりたいです。それこそ、いずれは趣味や好きなことなど思いっきり書いてみたいですね。文章力についても、もっともっと身につけたいのでこれからも精進していきます。

 

最後になりますが感想やはてなスターなど、とても嬉しく思っています。私が書いた文章を気に入ってくださったり、素直な感想を頂くととても嬉しいです。密かに喜んでおります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

信用と期待と私の感情

今回は私がずっと書くか書かないか悩んでいたことを書きたいと思います。

最近私が思っていることなのですが、人を信じることって難しいですよね。自分が他の人に対して信じているだけなのかそれとも期待しているのか、分からなくなりました。

 

例えばここ数年の出来事では、仲良くなった人を信用してその人に相談しても、どこかから情報が漏れていたりして戸惑ったことがあります。それはこの人なら大丈夫と思っていて話していたわけですので、期待を裏切られた感じが強く出てしまってモヤモヤしました。他の場合ではきっと改善してくれるだろうと信じていたことを無下にされたり、様々な事がありました。もちろん、私が出来ていなかった事もあります。そこはお互い様なのかもしれませんが、とある人との事ではどうしても私が譲りたくないところだったので深い溝ができてしまいました。譲れないところとの境界線の引き方は難しいですね。

 

厳密には信用と期待は違うものなのですが、私はどうしても信用している人には同時に期待してしまいます。それは「この人なら大丈夫だろう」と思って、私の感情を押し付けているだけだと最近気づきました。もしそれを逆の立場で考えたら、相手から期待を押し付けられてるのはプレッシャーになると思います。そう考えだすと信用するって何だろう?と思うようになり、答えを見つけられないまま時間だけが過ぎて行きました。今もわかっていません。

 

それに加えて「あまり人に期待し過ぎない方が良い」という言葉を知り、私はもう少し自分で色々なことを対処できるようになりたいと思いました。人に期待しすぎると、期待通りに行かなかった時にどうして良いかわからなくなってしまいます。そういう私は人に頼り過ぎていたのかもしれません。もちろん、1人で抱え込むのは良くない時もありますので、周りの人に頼る部分と頼らない部分を自分の中でわけるようにしたいです。そしてもう少し精神的に自立していくことを目標にしようと思いました。この問題とはゆっくり向き合っていきたいです。

 

 

 

最後に、最近プライベートで色々な事が重なってしまっているので今が踏ん張りところだと思っています。一つ一つの問題に対して優先順位をつけたり、対処方を探して解決を目指します。ブログに関しては続けていきたいと思っていますので、これからも読んでくださると嬉しいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

深く狭くに憧れて

いきなりですが私は今まで何事も広く浅く過ごしていました。

趣味もそうです。友人や恋人の好きなものを知りたくて色々な物に触れてきましたが、どれも私の中で中途半端になってしまっています。一貫して好きなものがなかった私は、狭く深く自分の趣味について熱く語れる人が羨ましいです。のめり込めるほど好きなものがない、と言うのは少し虚しくなります。

 

私は好きなものについて嬉しそうに語っている人達が好きです。何故か私の周りには何かしら一貫して好きな趣味を持つ人や、それについて努力できる人が多いです。好きこそ物の上手なれ、なのかその人達にどんどん置いていかれます。そしてその友人達は眩しいくらいいきいきしています。私はどの趣味も好きですがどれも中途半端、しかも周りにはその趣味を自分なりに極めてきた人達がいる。いつしか同じ趣味でも会話の内容は専門的になってきて私には理解できない領域へ。そんな事が続いて私は自分を薄っぺらい人間だと思うようになりました。好きなものを周りに合わせて、私は何をしてきたのだろうと。

 

結局は私は憧れているだけなのかもしれません。私も友人達みたいになりたい。キラキラしたい。好きなものについて語りたい。

 

そんな私にも自分から興味を持って好きになったものはあります。波はありますがそこそこ続いています。ですが、私がそれについて話してもなかなか聞いてくれる人は居ませんでした。聞いてもらえないのは、私が薄っぺらいからなのか?と本気で悩んだこともあります。そんな時に友人からも裏表がありそうと言われて自分に自信を無くしました。

 

話が逸れましたね。

私が一番悲しかったのは「それは私にはわからない分野だから」と一蹴され、話題をすぐに変えられた時です。

 

私は好きなものを続けるには、誰かに話したりして自分の気持ちを表現することも大事だと思っています。孤高でも良い、一人でも良いと思っている人も居るとは思いますが、私にとって好きなことについて誰かと語れる時はかけがえのないくらい楽しい時間です。でもなかなか難しいですね。

 

モヤモヤしているそんな時に好きな趣味で降級しました。それに加えて何か好きなことについて文章を書きたいと思っても、何も書けない自分に気づいてしまいました。胸を張って好きだと言えるものが何も無くて空っぽでどうしようもないなぁなんて。

 

しかし、落ち込んでばかりはいられません。

これからどうしたいか、どうなりたいかまだわかりませんが色々考えてみたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!