サボテンの気持ち

とある当事者のメモ帳。たまに日常。

再発予防のために私が気をつけていること

今回はリクエストがあったため、少し予定を変更して「再発予防のために私が気をつけていること」を書きたいと思う。まず、再発について書く前に精神疾患の症状について書くことにする。


精神疾患の症状は時間とともに変わり、様々な形で影響を与えるのである。私の場合は一定した症状ではなく、突然、漠然とした不安に襲われたり、ソワソワして落ち着きがなくなったりする。不安に襲われると、息苦しくなり酷い時には動悸などの症状が出てくる。その時の為に頓服を処方してもらっているが、服薬についてはまた今度詳しく書きたいと思う。


このように精神疾患の症状は突然現れることもあるが、現れる前に前兆のような注意サインがあったりする。注意サインは人それぞれなのであり、自分の注意サインがわかっている人は体調管理が上手な人と言えるだろう。私が気づいている自分の注意サインは、集中できなかったり、思考がまとまらずじっと座っていられずにソワソワして落ち着かない事がある。他にも自分がおかしくなるのではないかと言う不安に襲われたりする。一般的にわかりやすい注意サインは、食事をとれなくなることや反対に過食してしまうなど周囲の人が気づく可能性がある時もある。


注意サインの他に大きなストレスがかかっているときなど、再発が起きやすい状況などもある。私の場合は不眠として現れる。このような注意サインなどが重なると、症状が悪化してしまうことがある。症状が悪化してしまうことを再発と言う。最悪の場合は入院が必要な時もある。


再発しないためには自分の注意サインに気づき、その症状に対処する必要がある。「そんなのは簡単だ」と思う人もいるかもしれないが、注意サインは自分自信では気づかないこともある。私の場合は自分が落ち着きがなくソワソワしていることに気づかずに、友人から指摘されて初めてソワソワを自覚することがある。その時に頓服を飲んでももう遅く、頓服が効かないことすらある。


私が少しでも自分の注意サインに気づくことが出来るように気をつけていることは、信頼できる人に相談することである。

何故、相談することが大切なのだろうか。それは「私自身が気づけない注意サインに気づいて貰う為」である。注意サインが現れている時はもうすでに悪化している事もあり、自分自身が気づくことが難しいことがあるからだ。他にも、その症状が現れた時はパニックになり1人では何も出来ないこともある。特に私は自分の注意サインにあまり気づけないことが多い。


では、相談するのはどういった人が良いのだろうか。相談する前にまず自分が精神疾患がある事を伝えるのにも勇気が必要なので、とてもハードルが高く難しいと思う。私の場合は幸い病気になっても態度1つ変えずに接してくれた家族や友人達が居たのでその人達に相談することにした。友人に相談することが難しい場合は、デイケアや病院のスタッフ、主治医の先生など比較的相談しやすい人に相談すると良いと思われる。


相談する人が決まったら、相談する内容を紙に書き出してみよう。自分の注意サインがわからない人は症状などが悪化した時はどうなるかなどを伝えることをオススメする。私の場合はソワソワして落ち着きがなくなることを伝え、気づいたら伝えて貰うように頼んだ。再発の経験がある人はそのきっかけや出来事なども伝えておくと良いと思われる。そのきっかけや出来事が注意サインとなり、どのように対処すべきか考えることが自分自身の体調管理へつながると私は思っている。例えば私の場合は突然不安に襲われた場合は深く深呼吸をすることにしている。深呼吸をすることで多少は落ち着けるので、落ち着いた時に頓服を飲みにいったりしている。


他にも再発予防の為にできることはある。それは服薬をしっかりすることである。服薬を辞めてしまうと再発する確率が格段に跳ね上がってしまうからだ。薬の副作用がキツイ人もいるかもしれない。私も頓服の副作用が嫌いなのでなかなか飲もうとせずに手遅れになることがある。そう言うところをなおしていきたいと思っている。




私が再発防止のために気をつけていることは他にもある。例えばどの時間帯に調子が悪くなって症状が出てしまうのかなどを知るために記録を取ることである。簡単なメモでも良いので記録をすれば、症状が出やすい時間帯などがわかる。例えば私なら夜に不安に襲われやすいなど、人それぞれ特徴的なので症状やサインにも気づくことができるのだ。


このように再発予防のために出来ることは沢山ある。なので私は1つずつ試してみて自分にあったやり方で体調管理が出来るように勉強中なのである。



私が統合失調症を受け入れるまで、その2

統合失調症に仕事を奪われたと思った私は、何をすべきかわからぬまま通院したりデイケアに通っていた。

 

そんな私にも救いはあった。それはとあるプログラムである。

 

そのプログラムは私と似たような病気を持った人が集まり、情報を共有したり病気や再発予防について学んだりしていた。そこで私は統合失調症について学び、少しずつ理解していった。そして統合失調症になりながらも病気と上手に付き合いながら就職している人たちがいる事を知った。私もそうなりたいと思い、積極的に質問した。そして今でもそのプログラムで症状との付き合い方を学んでいる途中だ。

 

統合失調症について学んでいくうちに、私はとあること気づいた。そう言えばまだ私は主治医の先生から病名を告知されていないのであった。もう、私は自分が統合失調症だと自覚していたが、診察の時に主治医の先生に質問をしてみた。

 

「私は統合失調症なんですか?」

 

質問をすることは怖かった。何故、主治医の先生が病名を言ってくれなかったのかわかった気がした。

主治医の先生は驚きながらもそうだと答えた。私はそこでやっと自分が統合失調症だと告知された。しかし私はあまりショックを受けずに自分の病名を受け止めることができた。

 

ここまで書くと1人で頑張ったように思われるかもしれないが、自分の気持ちをここまで落ち着かせるのは、私1人ではできなかったと思う。病気になっても態度1つ変えずに見守ってくれていた家族や友人達の存在が大きい。デイケアや病院のスタッフや主治医の先生にも感謝している。

 

統合失調症は決して珍しい病気ではない。日本の人口の1%、つまり100人に1人はかかると言われている。100人に1人の確率でなってしまうかもしれない病気なのに、統合失調症について知らない人の方が多いと思う。現に私も自分が統合失調症になるまでは全く知らなかった。私はその1%になってしまったわけだが、それでも前向きに生きたいと思っている。

私が統合失調症を受け入れるまで、その1

統合失調症…それは私にとって全く縁の無い病気だった。


まず、いきなり声が聞こえてきて仕事や生活を引っ掻き回され、自分では何も判断出来なくなった。


その声は今思い返せば、統合失調症の陽性症状の1つである「幻聴」という症状だった。

幻聴には色々種類があり、命令してくる声や複数人が話しているような声、機械音やサイレンのような音まである。私の場合は複数人から色んな言動を監視され命令されるような幻聴だった。その声は時には上司の声に似ていたりして、上司に監視されているのではないかという「被害妄想」という症状まで現れた。


私は幻聴や被害妄想といった症状に支配されてしまった。何をするにも「声」が聞こえてきて私の邪魔をするのだ。集中していても聞こえてくるので、車の運転などはしないようにしていた。今思い返せば不思議なのだが、その時は症状に支配されていて「自分が異常な状態にあること」がわからなかった。何かの病気の症状だなんて全く思っていなかった。病識が全くなかったのだ。


そんなある日、同期と雑談していると同期から最近のtukunekunはおかしいと言われた。何があったのか、心配だと言われ、私は最近声が聞こえることを素直に話した。同期は黙って聞いていた。そして、上司に報告してくれた。上司からはカウンセリングを勧められた。私は病識がなかったが、その時には違和感を感じ始めていたので素直にカウンセリングを受けることにした。


カウンセリングは簡単な雑談から入った。最近、仕事はどうかなど簡単な質問をされた。私は素直に、声が邪魔だと答えた。私が声が聞こえるといった途端、カウンセリングの先生の表情が一瞬だけ険しくなったのを私は見逃さなかった。しかし、カウンセリングの間も幻聴の声が邪魔をしてくるのでそれどころではなかった。質問にもまともに答えられなかった。カウンセリングが終わった後、病院で診察を受けることを勧められた。ここでも私は自分が統合失調症だと言うことには気づかなかった。まず、自分が精神的におかしくなっているだなんて思っていなかったのだ。


実はカウンセリングの後、病院で診察を受けたあたりから記憶が曖昧になっていて、あまり覚えてないのである。気づいたら上司から休職を言い渡され、実家で休養することになっていた。そしてプチ失踪事件を起こした。その後、もう一度病院に行ったのだが、その時にはもう病院の先生や付き添いで一緒に来た家族の声はあまり聞こえず、幻聴の声と闘っていた。そして気づいたら閉鎖病棟へ入院していた。私はそれでも自分が何の病気かわからなかった。自分が何の病気かわからないまま、出された薬を飲んでいた。そして薬の副作用や統合失調症の症状でご飯を食べることができなくなっていた。その時の私は信じられないくらい痩せていたらしい。


入院してしばらく経ってから陽性症状や希死念慮が治ると、私は病院のプログラムで統合失調症について学んだ。そこでやっと今まで聞こえていた声の正体を知った。しかし、主治医の先生からは病名は告知されなかった。


主治医から病名を告知されないまま私は退院することになった。そして主治医の先生からデイケアというところに通うように指示された。私はデイケアに通いながら、入院中には使えなかったスマートフォン統合失調症について調べることにした。そして絶望した。調べてすぐに出てきた言葉は「統合失調症は完治しない」と言う言葉だった。そして再発しやすい病気だと言うことも書いてあったのだ。私はとても焦った。休職の期限はあと少ししか残っていなかったのである。完治しない、しかも再発しやすいと言う統合失調症になった自分を恨んだ。そしてあっという間に休職期間が終わり私はそのまま退職することになった。私は統合失調症に仕事を奪われたのだった。


そして私は何をすべきかわからなくなった。




その2へ続く。


私が統合失調症になるまで

 

まず始めに自己紹介をさせていただきたいと思う。


私は統合失調症で日々通院している二十代女性だ。統合失調症になるまでは仕事が恋人だった。そんな私が統合失調症になって、仕事を失うまでの話をしたいと思う。
 
私はもともと我慢強いこどもだった。我慢強いというよりは頑固で見栄っ張りだったのかもしれない。そんな性格だったために友達は少なかった。それに加え女子達のきらびやかな会話に入っていけず、男子とばかり遊んでいる風変わりな子供だった。
中学の頃は思春期で見栄っ張りに拍車がかかり、嘘をついてしまったことがある。それを部活のリーダー的存在に見破られ、後ろ指を指されることになるが、それでも部活を続けると言うある意味鋼のメンタルの持ち主でもあった。何故なら友達が居ない私にとって、部活だけが私が混ざれる唯一のコミュニティだったのだ。そのコミュニティの中でも仲の良い友達は出来なかった。
私にとって、中学生活は黒歴史となっている。
 
高校は無事に志望校に入ることができ、1年目は友達作りに失敗した。
2年生の時にやっと友達と呼べるような関係を持つことができ、3年生の時は親友と呼べるまでの仲になれた。クラスの人は基本的に優しく、仲の良い人達のグループにも入ることができた。その友人達とは今でも集まって遊んだりしている。
 
高校3年生になっていよいよ自分の進路を決めることになり、私は就職することにした。朝課外にも通ってひたすら面接や就職試験の勉強をした。そして第一志望のところの内定を貰うことができた。その頃には彼氏も居て、幸せの絶頂だった。「このまま高校生活が続けば良いのに」と思いながら卒業し、私は社会人になった。
 
第一志望の職につけた私は、最初は理想と現実のギャップに苦しむことになる。それでも自分のやりたいことのため努力をした。3年が経ち、やっと少しは板についてきたと思えるくらいに成長した。そのころには自分のやりたいことも少しは出来るようになっていた。しかし、多少の事は我慢して、嫌なことには目を瞑ったりして、誰にも相談できずにいた。それでも私は大丈夫だと思っていた。自分のメンタルの強さを過信していたのである。
 
そしてある日、突然幻聴が聞こえるようになる。聞こえてくる声が命令系であったのと、私の心の中の細かいところまでつついてくるので、日常生活や仕事に支障が出るようになった。心配した同期が話を聞いてくれた。声が聞こえることや自分の心の声が他人に漏れているのではないかと言う不安、仕事にも支障が出ていることなどを話した。同期は黙って聞いてくれた。そして同期はそのまま上司に報告してくれた。そして私は上司にカウンセリングを勧められ、カウンセリングを受けることになった。そこで病院を紹介され、休職が必要だと診断された。病名は告知されなかった。
 
休職期間に入って私はプチ失踪事件を起こしてしまい、閉鎖病棟に入院となった。そこでも病名は告知されずただ出された薬を何も考えずに飲んでいた。
 
病状が安定して退院すると休職期間の期限が迫っていた。この状態での復職は無理だと判断され、気づけば私は無職になっていた。
 
仕事が恋人だった私はとても落ち込んだが、今ではその気持ちは薄れてきている。未練がないと言えば嘘になるが、今では前向きに次の仕事を探しつつ就職訓練みたいなことをしている。
そして統合失調症という病気との付き合い方も学んでいて今ではだいぶ回復することができた。
そして学んだことをいかすためにこのブログを作ってみようと思ったのだ。
 
次回は「私が統合失調症を受け入れるまで」を書きたいと思っている。
 
つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。