サボテンの気持ち

とある当事者のメモ帳。たまに日常。

私が統合失調症を受け入れるまで、その1

統合失調症…それは私にとって全く縁の無い病気だった。


まず、いきなり声が聞こえてきて仕事や生活を引っ掻き回され、自分では何も判断出来なくなった。


その声は今思い返せば、統合失調症の陽性症状の1つである「幻聴」という症状だった。

幻聴には色々種類があり、命令してくる声や複数人が話しているような声、機械音やサイレンのような音まである。私の場合は複数人から色んな言動を監視され命令されるような幻聴だった。その声は時には上司の声に似ていたりして、上司に監視されているのではないかという「被害妄想」という症状まで現れた。


私は幻聴や被害妄想といった症状に支配されてしまった。何をするにも「声」が聞こえてきて私の邪魔をするのだ。集中していても聞こえてくるので、車の運転などはしないようにしていた。今思い返せば不思議なのだが、その時は症状に支配されていて「自分が異常な状態にあること」がわからなかった。何かの病気の症状だなんて全く思っていなかった。病識が全くなかったのだ。


そんなある日、同期と雑談していると同期から最近のtukunekunはおかしいと言われた。何があったのか、心配だと言われ、私は最近声が聞こえることを素直に話した。同期は黙って聞いていた。そして、上司に報告してくれた。上司からはカウンセリングを勧められた。私は病識がなかったが、その時には違和感を感じ始めていたので素直にカウンセリングを受けることにした。


カウンセリングは簡単な雑談から入った。最近、仕事はどうかなど簡単な質問をされた。私は素直に、声が邪魔だと答えた。私が声が聞こえるといった途端、カウンセリングの先生の表情が一瞬だけ険しくなったのを私は見逃さなかった。しかし、カウンセリングの間も幻聴の声が邪魔をしてくるのでそれどころではなかった。質問にもまともに答えられなかった。カウンセリングが終わった後、病院で診察を受けることを勧められた。ここでも私は自分が統合失調症だと言うことには気づかなかった。まず、自分が精神的におかしくなっているだなんて思っていなかったのだ。


実はカウンセリングの後、病院で診察を受けたあたりから記憶が曖昧になっていて、あまり覚えてないのである。気づいたら上司から休職を言い渡され、実家で休養することになっていた。そしてプチ失踪事件を起こした。その後、もう一度病院に行ったのだが、その時にはもう病院の先生や付き添いで一緒に来た家族の声はあまり聞こえず、幻聴の声と闘っていた。そして気づいたら閉鎖病棟へ入院していた。私はそれでも自分が何の病気かわからなかった。自分が何の病気かわからないまま、出された薬を飲んでいた。そして薬の副作用や統合失調症の症状でご飯を食べることができなくなっていた。その時の私は信じられないくらい痩せていたらしい。


入院してしばらく経ってから陽性症状や希死念慮が治ると、私は病院のプログラムで統合失調症について学んだ。そこでやっと今まで聞こえていた声の正体を知った。しかし、主治医の先生からは病名は告知されなかった。


主治医から病名を告知されないまま私は退院することになった。そして主治医の先生からデイケアというところに通うように指示された。私はデイケアに通いながら、入院中には使えなかったスマートフォン統合失調症について調べることにした。そして絶望した。調べてすぐに出てきた言葉は「統合失調症は完治しない」と言う言葉だった。そして再発しやすい病気だと言うことも書いてあったのだ。私はとても焦った。休職の期限はあと少ししか残っていなかったのである。完治しない、しかも再発しやすいと言う統合失調症になった自分を恨んだ。そしてあっという間に休職期間が終わり私はそのまま退職することになった。私は統合失調症に仕事を奪われたのだった。


そして私は何をすべきかわからなくなった。




その2へ続く。