サボテンの気持ち

とある当事者のメモ帳。たまに日常。

私が統合失調症になるまで

 

まず始めに自己紹介をさせていただきたいと思う。


私は統合失調症で日々通院している二十代女性だ。統合失調症になるまでは仕事が恋人だった。そんな私が統合失調症になって、仕事を失うまでの話をしたいと思う。
 
私はもともと我慢強いこどもだった。我慢強いというよりは頑固で見栄っ張りだったのかもしれない。そんな性格だったために友達は少なかった。それに加え女子達のきらびやかな会話に入っていけず、男子とばかり遊んでいる風変わりな子供だった。
中学の頃は思春期で見栄っ張りに拍車がかかり、嘘をついてしまったことがある。それを部活のリーダー的存在に見破られ、後ろ指を指されることになるが、それでも部活を続けると言うある意味鋼のメンタルの持ち主でもあった。何故なら友達が居ない私にとって、部活だけが私が混ざれる唯一のコミュニティだったのだ。そのコミュニティの中でも仲の良い友達は出来なかった。
私にとって、中学生活は黒歴史となっている。
 
高校は無事に志望校に入ることができ、1年目は友達作りに失敗した。
2年生の時にやっと友達と呼べるような関係を持つことができ、3年生の時は親友と呼べるまでの仲になれた。クラスの人は基本的に優しく、仲の良い人達のグループにも入ることができた。その友人達とは今でも集まって遊んだりしている。
 
高校3年生になっていよいよ自分の進路を決めることになり、私は就職することにした。朝課外にも通ってひたすら面接や就職試験の勉強をした。そして第一志望のところの内定を貰うことができた。その頃には彼氏も居て、幸せの絶頂だった。「このまま高校生活が続けば良いのに」と思いながら卒業し、私は社会人になった。
 
第一志望の職につけた私は、最初は理想と現実のギャップに苦しむことになる。それでも自分のやりたいことのため努力をした。3年が経ち、やっと少しは板についてきたと思えるくらいに成長した。そのころには自分のやりたいことも少しは出来るようになっていた。しかし、多少の事は我慢して、嫌なことには目を瞑ったりして、誰にも相談できずにいた。それでも私は大丈夫だと思っていた。自分のメンタルの強さを過信していたのである。
 
そしてある日、突然幻聴が聞こえるようになる。聞こえてくる声が命令系であったのと、私の心の中の細かいところまでつついてくるので、日常生活や仕事に支障が出るようになった。心配した同期が話を聞いてくれた。声が聞こえることや自分の心の声が他人に漏れているのではないかと言う不安、仕事にも支障が出ていることなどを話した。同期は黙って聞いてくれた。そして同期はそのまま上司に報告してくれた。そして私は上司にカウンセリングを勧められ、カウンセリングを受けることになった。そこで病院を紹介され、休職が必要だと診断された。病名は告知されなかった。
 
休職期間に入って私はプチ失踪事件を起こしてしまい、閉鎖病棟に入院となった。そこでも病名は告知されずただ出された薬を何も考えずに飲んでいた。
 
病状が安定して退院すると休職期間の期限が迫っていた。この状態での復職は無理だと判断され、気づけば私は無職になっていた。
 
仕事が恋人だった私はとても落ち込んだが、今ではその気持ちは薄れてきている。未練がないと言えば嘘になるが、今では前向きに次の仕事を探しつつ就職訓練みたいなことをしている。
そして統合失調症という病気との付き合い方も学んでいて今ではだいぶ回復することができた。
そして学んだことをいかすためにこのブログを作ってみようと思ったのだ。
 
次回は「私が統合失調症を受け入れるまで」を書きたいと思っている。
 
つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。